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2014年5月30日金曜日

英会話三国志の時代が終わりを告げた

2010年頃のフィリピン人英会話の状況は、まるで中国の三国志を思わせる乱戦で、多くの英会話サービスが乱立しており、そのなかに三つの有力な会社がありました。
  • レアジョブ
  • ラングリッチ
  • スカイトーク
上記の三社です。「フィリピン人を雇ってインターネットを通じて安い英会話を提供する」という基本的なモデルは同じものの、それぞれに特徴がありました。レアジョブは徹底的なコスト削減、ラングリッチはWebマーケティング、スカイトークは親身なサービスに力を入れていました。これだけでは、わかりづらいので、各社の特徴をもう少し詳細に見ていきたいと思います。
レアジョブ
  • 日本人のユーザーとフィリピン人の先生を引き合わせる場だけを提供。フィリピンで停電などがあり先生が欠席の場合は、変わりの先生はいない。後日、メールが送られてきてポイントで補完。
  • 早朝と夜の両方にレッスンがあり。
  • フィリピン人の先生は、フィリピン各地にいる。先生は在宅で仕事をしている。在宅ベースと呼ばれている。
  • 一日に一回、または二回のレッスンを取得できる月額制
ラングリッチ
  • セブにオフィスがあり、そこに先生が通勤してレッスンを提供しています。それによって、インターネットの回線がよくなることで通話の質が担保されます。オフィスベースと呼ばれている。
  • 通常の語学留学も提供しており、オンライン英会話とのシナジー効果が得られる。
  • 早朝と夜の両方にレッスンがあり。
  • 一日に一回、または二回のレッスンを取得できる月額制
スカイトーク
  • スカイプに常にマネージャーが常駐していることで、困ったことがあれば、すぐに相談できた(2013年ぐらいまで)。そのため、担当の先生が欠席の場合は、すぐに代行の先生を回して貰えた。
  • 先生はオフィスベースの人もいれば、在宅ベースの人もいました。
  • 夜のレッスンのみ。
  • 一日に一回、または二回のレッスンを取得できる月額制と自分で好きなスケジュールを組めるポイント制があった。ポイント制は月額制の二倍ぐらいの価格で、若干割高です。(ポイント制は2014年まで)
もう少しザックリとした説明をすると、レアジョブは「ユーザーと先生に任せる。最低限のフォローはするから好きにして」というモデルです。レアジョブが受け持つ仕事は少ないため、スケーラビリティがあります(より簡単に規模を大きくできます)。
ラングリッチは「先生を会社に集めて一括で管理しているから、ネットも先生の質も安定しているよ」というモデルです。いい加減なところのあるフィリピン人、いい加減なインターネット環境下では効果的な施策に思えます。
スカイトークは「真心で対応する」というモデルでした。skypeとうのサービスに詳しくないネットリテラシーの低い人にとっては、有り難い施策だったと思いますが、ユーザーが増えるほど管理コストも増えるので、スケーラビリティに欠けていました。また、ポイントサービスはユーザーからすると利便性があるサービスでしたが、会社からすれば人気の先生(能力のある先生)しか予約が埋まらないというジレンマがあったと思います。
ここ数年間、各社、頑張っていたのは勿論のことながら様々な事件もありました。
レアジョブ
  • パスワード流出事件(2012/5)
    パスワードが暗号化されておらず、おいおい、という感じでした。影響を受けた人は11万人と相当な規模でした。
ラングリッチ
  • 先生のストライキ事件 (2012/3)
    どういう環境で先生が働かせられているのか、心配になったのは私だけではないはずです。生徒からも多くの不満が寄せられました。
  • 広告塔であるHAL_Jが突然、辞めてサウスピークという会社を設立。HAL_Jに勧められてサービスを始めた人はガッカリしたはずです。
スカイトーク
  • セブ島に住む一部の先生が、My Tutorという会社に移動。(2013/11)これは、先生が会社に行かなければいけないオフィスベースのタイプなので、サービス的にはラングリッチに近いと思います。My Tutorに行った先生は人気がある人達ばかりだったので、多くのユーザーから反感をかいました。
  • ポイント制がなくなる。(2014/5)これにより、全ての先生が平等にレッスンを受け持ち易くなるでしょう。逆に、生徒は自由なスケジュールを立てられなくなります。影響が現れるのはこれからと思われます。

こうして、三社が三年間にわたって戦っていた結果、2014年には住み分けができて、大体、決着がついたように思われます。レアジョブはユーザー数が20万人に達して、マザーズに上場。多くの一般ユーザーを囲っているように見えます。ラングリッチは、安定した通信と先生の指導力を強みにして、法人向けにも舵をきっています。スカイトークは、自社を二つに割るような形で、それぞれ、レアジョブ、ラングリッチのビジネスモデルを追いかけている感じですが、ユーザー数は減っているように思えます。(オフィスベース + 在宅ベースだったので、それぞれを独立させた)
結論としては概ね、レアジョブの一人勝ちみたいな感じに見えます。フィリピン英会話に多くを求める日本人は少ないので、「簡単に英語を話せる機会が欲しい」というに需要に対して、低コストで対応した結果が如実に表れたのではないでしょうか。ちなみに、私はスカイトーク、特にポイント制が好きでした。。。

2013年12月22日日曜日

【1874/5/10】台湾での戦争

出典はNYTimesから
A WAR ON FORMOSA
台湾での戦争

News from Japan to April 7 appears in the California newspapers.
4/7の日本からのニュースをカリフォルニア新聞が届けます。

The Daijokuan have resolved at length to take hostile steps against the Formosans, who killed and ate a portion of the crew belonging to Loochoo.
太政官は沖縄の船乗りの一部を殺して、食べた台湾人に対して、対策を施すための期間を決定しています。

The Loochooans appealed to Japan.
沖縄人は日本に懇願しました。

The Government has declared its intention of punishing them and three or four ships are to be sent, with some 2,000 fighting men.
政府は彼らを罰する意図があることを宣言しています。そして、三つか四つの船が2000人の兵士と共に送られます。

Steamers have been sent to Nagasaki to embark troops from among those who were recently engaged in putting down the rebellion in Saga. 
最近、佐賀での反乱鎮圧に従事した中の軍隊のいくつかを乗船させた蒸気船が長崎に送られています。

Local journals add: The Japanese Government intends to take measures to prevent any more murdering of its subjects, when shipwrecked near Formosa.
日本のローカル新聞曰く。日本政府は、台湾近くにおける船の難破の際に、これ以上の国民の殺人を防止する措置をとる意図を持っています。

The Japan Gazette speaking on this subject, says: "It will be observed that the crew of the Loudoun Castle who fell into the hands of Formosans were well treated by them; while the crew of the junk from Meiacosima,  which was wrecked on the same spot a few months afterward, were slaughtered.
この問題に対して話している日本の新聞は以下のことを述べています。台湾人によって囚われたラウドンキャッスルの乗組員は好待遇で扱われていたということ。同時に、数ヶ月後で同様の場所で難破した宮古島の人が虐殺されたことが認められるだろう。

We belive that the plan intended to be adopted by the Japanese Government for the prevention of similar outrages for the future is the occupation of the south point of Formosa, which will enable them to command the aboriginal territory. 
同様の将来の非道行為を防止するために、日本政府によって採択される計画は、彼らに原住民の領地を率いることを可能にしている南台湾の占領だと、我々は信じています。

The Chinese Government, we believe, disclaims all jurisdiction over this territory, and all responsibility in regard to the tribes occupying it. 
我々が思うに、支那政府はこの地域に対する全ての支配権、そこを占領している部族に対する考慮すべき責任を放棄しています。

Indeed, the Chinese maps of Formosa are drawn with a sharp line running north and south through the island, intimating this very decidedly. 
実際のところ、台湾に関する支那の地図では、明らかに島の北から南までラインがはっきりと書かれています。

The step of the Japanese Government involves the difficulty of joint occupation - one never free from difficulties, and often provocative of collision, as their experience of Saghalien must have taught them; 
日本政府の歩みは、共有の占領の難しさを伴います。困難、しばしば起こる衝突からは、決して自由になりません。サハリンでの経験が教えてくれたように。。。

and how they will agree with the Chinese with whom certainly come more or less in contact, remains to be seen."

そして、多少は残っているように見られる、繋がりがある支那人とどうやって交渉してくのだろうか。

私見;
遭難事件自体はwikiにも書かれています。
遭難事件、怖いですね。いくら130年前とは言え、人が人を食べるとは。
当時は、Loochoo(多分、琉球)と呼ばれていた沖縄も日本では無かったように書かれています。とは言え、沖縄としては頼るところは日本という感じだったんでしょうか。
沖縄が日本に組み込まれたのは、正式には1879年からになるようなので、その5年前の話みたいです。
この記事だけだと少しわかりづらいのですが、日本・沖縄としては「宮古島の人々が台湾の人に虐殺されたから、清は責任をとるかとか、何かしてよ」って言ったけど、清は「知りません」って応えたようですね。その辺りが火種の元になっていく。難しい話ですよね。特に日本の本国に住む人からしたら、どうでもいいわけだし。でも、沖縄周辺に住む人達にとっては、文字通り死活問題。船の難破の度に殺されたら、命がいくつあっても足りない。。。清・台湾から見たら、日本は侵略者かもしれないし。ただ、私は一般の住民から見た歴史って言うのが、一番、大事だと思っています。
それにしても、古今東西、国境争いというのはずっと起こっていますね。南では当時は台湾、今は尖閣諸島。北では当時はサハリン、今は北方領土。早く解決できればいいのですが。

2013年12月1日日曜日

【1872/12/15】日本の自殺

出典はNYTimesから

SUICIDE IN JAPAN.
日本の自殺

It appears from recent reports that suicide is going out of fashion in Japan. 
最近のレポートによると、日本では自殺は減ってきています。

A debate in the Parliament about three years ago, Oct. 8, 1869, showed that the members were not prepared to introduce any change in the law then, for three members only in house of 209 could be found to vote for the abolition of suicide. 
3年前、1869/10/8の議会では、議員は法律の変更の準備をしていませんでした。そして、209名のうち3名の議員が自殺の廃止に投票したことが認められていました。

When a member of the two-sworded class, or Samurai, commits a crime, a message is sent that he is permitted to kill himself by disemboweling which custom is called the harakiri or seppuku. 
二本差し、又は侍が犯罪を犯した時、内蔵を取り出して自殺する、その習慣を腹切り又は切腹と呼ぶのですが、それを許可されるメッセージが送られます。

It seems that the practice was considered so honorable that many men committed it without waiting the imperial permission, and this was considered highly improper. 
切腹を実施することは非常に名誉なことだと考えられていたので、多くの人は皇室からの許可を待たずに実行しました。
これは非常に不適切であったように思われます。

The clerk of the house had very sensibly put the question before the delegations in this manner; 
家の事務員はこの習慣の委譲の前に、かなり良識的に異議をとなえました。

"It should be remarked that most two-sworded men who commit seppuku are men of parts, and with a strong sense of shame. 
切腹をする大半の二本差しは、一部の人であり、強い恥の感覚を持っていると言うべきです。

It is needless to say that if such men repented, and , urged by an indignant sense of their errors, employed their talents industriously, they would do their country good service; 
もし、そのような人が後悔して、自分のミスに対する怒りの感覚にみまわれて、その能力を勤勉に使ったならば、彼らは国に対して非常に奉仕するだろうことは、言うまでもないことです。

but, in my opinion, death for a fault or two of doubtful character, at the same time blocks up the way of self-examination to the individual, and is variance with the Imperial plans for the national prosperity. 
しかし私の意見ですが、失敗、もしくは、いかがわしい人物に対する死は、同時に個人に対する試練の道を塞ぎますし、国家の繁栄のための帝国のプランと相違があります。

I think advantage ought to be taken of the present reform of the Government to prohibit this practice." 
思うに、この行為を禁止するために、現在の行政の改正により、国民に対して好都合なことが行われるべきです。

The members thought differently , and recorded their votes as we have said. Let us transcribe one or two speeches.
メンバーは異なる考えでした。そして、私達が言っていた時に彼らの投票を記録しました。一つか二つのスピーチを転記します。

Kaji Matazayemon.-It may seem at first sight an immoral act to die without a waiting the Judge's sentence, but this does not proceed from contempt for authority. 
梶 又左衛門(多分、こんな字?
裁判官の判決を待たずに死ぬことは、最初は不道徳のように見えるかもしれません。しかし、これは、権力に対する侮辱からは来ていません。

The commission of the seppuku is owing to natural sense of shame being deeply rooted in the heart. 
切腹の実施は心の中に深く根付かれている自然な恥の感覚に負っています。

It is a national custom founded on what is due to the national sense of justice, and to Japan as a nation.
それは正義の国民感覚、国家としての日本のために見つけられる国民の慣習です。

 It may be proper to prohibit the seppuku in cases where no legal sentence has been pronounced, but if the law constituting is a punishment for two-sworded men be not maintained, the distinction between them and the common people obliterated.
不当な判決が宣告が宣告されたケースでは、切腹が禁止されることが正しいかもしれません。しかし、もし法律が構成していることが、もはやその地位でない二本差しの男達に対して刑罰ならば、彼らと一般の人々の間の区別は消えました。

Karube Itsinja.-" a speedy death by seppuku, resulting from remorse for crime, is a means of avoiding the pain of disgrace; 
(かるべ いしんじゃ)
切腹による早急な死は、犯罪による良心の呵責の結果として、不名誉に対する苦しみを避ける方法です。

how can it be said to be a contempt of the criminal law? 
どうすれば、刑法の軽視であると言えるか?

how, on the other, can it be styled an expiation of guilt?" 
一方で、どうすれば、罪滅ぼしだと称することができるか?

By death the criminal barely restores himself to his position as a human being. 
犯罪者の死によって、人間としての彼の地位は、ほとんど戻りません。

If he lives, he is a scoundrel; 
もし彼が生きていれば、悪党です。

but if he dies, he , for the first time, manifests a sense of shame. 
しかし彼が死ねば、初めて、恥を感じていることを証明します。

To prohibit the seppuku would be to choose the public path of honor, and throw open private path scoundrelism."
切腹を禁止することは、公的な名誉の進む道を選択することになるでしょうし、また、開かれた個人の悪党主義に疑念を投げるでしょう。

Sakada Hakusa.-"
The seppuku has its origin in the sacred vital energy of this divine country, and it the shrine of the Japanese national spirit, (Yamato-sprit.) 
(坂田はくさ)
切腹は、この神聖な国の神聖な極めて重大なエネルギーと日本の伝統的な精神である神社(大和魂)に起源があります。

Unquestionably, it should not be prohibited. 
疑いの余地なく、切腹は禁止されるべきではありません。

Its practice should be extended, and by this means a sense of shame fostered, and the seppuku should be made famous throughout the world, as an example of devotion to principle. 
切腹の実施は、より拡張されるべきです。そして、より育成された方法によって、切腹は世界中で、主義への献身の例として有名にされるべきです。

It ought to be introduced into our criminal code as the form of capital punishment for those above the rank of Samuri."-Chambers's Jaurnal.
それは、侍の地位を超えて主要な罰の形として犯罪規定として紹介されるべきです。

私見;
今でも自殺大国の日本。自殺の話題は1872年、明治5年にもされていたようです(笑)
とはいえ、現在とは少し意味合いが違う自殺です。
侍のみに許された名誉ある行為、切腹に関する話です。
1869年の議員の意見をまとめてみます。

  • 切腹は慣習であり、恥の文化から来るものだ。
  • 元侍には名誉ある切腹という選択肢があってもいい。
  • 切腹は良心の呵責から逃げているだけだ。
  • 切腹を禁止することは、公的に素晴らしいことだ。
  • 切腹は大和魂に由来するものだ。
  • 切腹は素晴らしい文化なので侍のみならず、一般人にもやってもらうよう刑法にいれて、世界にアピールしよう。
これらを踏まえた上で、当時の状況について興味深いことがあります。1869年、206人もの議員が切腹に賛成していて、たった3人の議員が切腹に反対しています。でも、それに反して3年後の1872年には切腹の件数が減ってきています。あれ?という感じですよね。つまり、議員が「切腹は名誉ある行為なので、賛成!」と言っているにもかかわらず、元侍による切腹の回数は減ってきている。つまり、議員と元侍の間の感覚には乖離があったということなんでしょう。1869年、議員の「元侍から切腹を取り上げたら、その人は本当に一般の人ですよ」という意見があります。それに対して、どうやら元侍が選んだことは「私達は一般の人になります。」だったようです。
 それにしても昨今の特権階級、政治家などによる様々な汚職事件を見ていると、切腹を刑法に取り入れようとしていた意見も、あながち間違っていたとも言えない気がします。140年前には日本にあった「恥」の感覚を、今の日本人にも取り戻して欲しいなぁ〜なんて思ってみたり。


2013年11月17日日曜日

【1860/6/16】日本と日本人。その1

JAPAN AND THE JAPANESE.; Location, Soil, Climate, Customs
日本と日本人。場所、土壌、気候、習慣

The interest occasioned by the arrival of the Japanese Embassy in this country, in all things pertaining to Japan and the Japanese, has led us to collate some of the principal facts of interest, already known, concerning this peculiar race, for the benefit of our readers whose facilities for obtaining such information may not be the most extensive.
日本の大使館に着いた時に日本と日本人に関して引き起こされる興味は、すでに知られているように、この固有の人種に関して、主要な事実を照合させます。という訳で、何かの情報を獲得しようとしている施設のリーダーの為の利益は、あまり無いかもしれません。

The empire of Japan consists of a chain of islands lying off the eastern coast of Continental Asia. Japan proper consists of three large islands, Niphon, Kiu-siu, and Lit-kokf.
日本国は、アジア大陸の東の沿岸にある鎖上の島々から成り立ちます。厳密には三つの大きな島、日本、九州、四国から成り立っています。

The largest of these is Niphon, and has an estimated area of 100,000 square miles, or about one-fifth larger than Great Britain. 
最も多きなものは日本で、調査されている分は100,000平方マイルの土地です。もしくは、グレートブリテン島より20%大きい土地です。

The nearest land to Japan on the east, is California, 5,000 miles distant; while China is 420 miles, and Kamtiscatka is 270 miles distant. 
東側の日本に最も近い土地は、カリフォルニア州で5000マイルの距離があります。支那からは420マイル、カムチャツカからは270マイルの距離です。

The name Japan is a corruption of a Chinese word signifying "kingdom of the source of the sun," which harmonizes with the idea of their celestial origin, if not with their own peculiar celestial characteristics.
日本の名前は支那の言葉の訛りで、太陽が昇る王国を意味しており、彼ら固有の素晴らしい特徴でなくても、それは彼らの素晴らしい起源と調和します。
The smaller islands surrounding Japan proper are generally rocky and barren, but occasionally rich and beautiful. 
日本を囲んでいる小さな島々は、厳密に言うと、一般的には岩だらけの不毛な土地ですが、たまに美しく肥沃な土地もあります。

The coasts are difficult of access, not only from the multitude of rocks and islets which beset the passages, but also from the severe gales which more than in any other part of the ocean agitate these narrow seas.
海岸線は、水路を囲む多くの岩と小島だけでなく、この狭い海を波立たせる激しい嵐のために、アクセスするのが難しいです。

KEMPFER remarks that nature seems to have designed these islands to be a sort of little world, secluded and independent from the rest, as well by rendering it dangerous to approach their shores as by endowing them plentifully with everything necessary for luxury and comfort, and thus enabling them to subsist without any commerce with other nations. 
ケンプファーは、「これらの島々はある種の小さな世界のようにデザインされており、海岸に近づくのが危険であるがゆえに、また彼らに贅沢で生活を楽にするための全てが豊富に授けられていることによって、隔離されながら他の国の人々から独立しています。ゆえに、彼らが他の国々との交易なしに暮らしていくことを可能にしています」と述べています。

It is true, the natural barriers may have greatly assisted the Japanese Government in carrying out. 
それは真実で、自然の要塞が日本政府が運営していくことを大いに助けているかもしれません。

their exclusive policy, but the motive for such seclusion is found in far different reasons. 
鎖国のポリシー、驚くべきことにその隔離の動機は、全く異なる理由に見つけられます。

The early Romish missionaries, under FRANCIS XAVIER, in 1549, were kindly received by the Japanese, but, not content with their spiritual trophies, they attempted encroachments on the secular power, which so aroused the Government that persecution followed, and on the 12th of April, 1637, 37,000 Christians were put to death. 
フランシスコ・ザビエルの元でローマカトリック協会の馬鹿な宣教師っぽい人達が、1549年の初期に日本人に親切に受け入れられました。しかし偉そうで中身は全くなく、彼らは非宗教的な力で侵略を試み、それが政府に迫害と、1637/4/12に37000人のクリスチャンを殺害させることを引き起こしました。(島原の乱のこと)

At the same time the Government issued a decree which resulted in the isolation of Japan from the rest of the world. 
同時期に、政府は世界の国から日本が孤立することになる法律を制定しました。

By this decree no Japanese ship, or boat, or native of Japan, was allowed to go from or return to Japan, under penalty of death.
この法律により、日本人の船、ボート、日本人は日本から出たり戻ったりすると死刑になることになりました。

私見;
Lit-kokfっておそらくは、四国のことだと思うんですけど、何のことだかサッパリわかりませんでした(笑)発音からも判断できず。誰か、わかる方がいたら教えて下さい。
 1860年だと、日本はまだ3つの島だけなんですね。つまり、欧米の人からすると元々、日本は3つの島だったと。これは興味深いなと思っています。
1860年;3島 
1868年;4島 北海道がプラス。
1895年;5島 台湾がプラス。
1905年;6島 南樺太がプラス。
1910年;7島 朝鮮がプラス。
1945年;4島
というのも敗戦時に、3島に戻される可能性もあったのかも知れないと思うと、1868年の時点に戻されて、まだよかったなぁ〜と思います。
また、他国からすると日本は恵まれた環境にあるとの理解だったようです。今でこそ日本は、他国との貿易なしではやっていけない国となっていますが、当時は貿易なしでやっていける国だったんですね。これは、当然ながら、人口が関係しています。江戸時代の人口は、大体、2700万人ぐらい。日本人だけの世界で、自給自足の生活をする。羨ましい姿だなとも感じます。
 鎖国の理由が、ここでハッキリと述べられているのには、驚きました。宣教師達は親切に日本に受け入れられたけど、彼らは日本を侵略しようとした。あ〜、なんだか教科書で習った歴史とは違う気がする。宣教師は侵略の尖兵だと聞いたことはありましたけど、それが事実だったんでしょうか。ちなみに「Romish」という単語は軽蔑の意味を含む単語みたいです。

2013年11月10日日曜日

【1868/10/18】明治時代での攘夷の精神

出典はNYTimesから
PDFの三番目のパラグラフです。

ANTI-FOREIGN SENTIMENT
攘夷の精神

The Alta-California correspondent says: There is a strong anti-foreign feeling in Japan, and I am afraid that it is on the increase. 
アルタカリフォルニアの担当記者は伝えています。日本には強い反外国人の感情がある。そして、それが増大していくのが怖いです。

They attribute all their trouble to us foreigners having come into the country. 
彼らは全てのトラブルを我々、日本にきた外国人のせいにしています。

Even here in Yokohama, where the native population has been familiarized to the sight and acquaintance of foreigners, we are constantly liable and sometimes subject to insult. 
日本人に馴染みがあり、外国人にも馴染みのある横浜でさえ、我々は常に責任があり、また侮辱を受けています。

At the open ports all is quiet. 
開港している港は、全て静かです。

but business is very dull. 
しかしビジネスは活気がありません。

The currency is deranged and exchange is high. 
流通している貨幣は狂っていて、為替相場は高いです。

The Mikado's Government has been at last obliged to resort to paper currency, and has issued notes of a great variety of denomination. 
天皇陛下の政府は、とうとう紙の紙幣に頼らざるを得なくなっていて、また、様々なデノミ(通貨切り下げ)の紙幣を発行し続けています。

The  regulations concerning this Imperial currency are very stringent and the Government is determined that it shall be forced upon the people whether they like it or not. 
政府の紙幣に関する規制は非常に厳重で、政府は、民衆がそれを好きだろうが、なんだろうが強制することに、固く決めました。

At one place it is reported that eighteen merchants have been summarily decapitated for other no reason than refusing this currency and speaking against it. 
ある場所では、18人の貿易商人が政府の通貨を拒絶して、反対したという理由で即座に打ち首にされたと報告されています。

Exchange is still very high.
為替相場は非常に高いです。

The Foreign Legations are still in this city;
外国の公使館は、まだ、この街にあります。

It is not safe to go out of it, in fact; though I hear that United States Minister VAN VALKENBUNGH is about to going to Yeddo to see for himself what is to be found out there. 
外出することは、安全ではありません。事実、聞いたところによると、合衆国の大臣である ヴァンが彼自身のために江戸探索に行こうとしていました。

GEN VAN VALKENBUNGH still holds the Stonewall, and probably thinks that it would not be safe for either party to have while the currency is so unsettled. 
ヴァンはまだ、軍艦。多分、彼は通貨が不安定な間は、各パーティーにとって安全ではないと考えています。

There is no vessel in these waters that can defend itself against her. 
日本にとって、それらの問題を守る解決方法はありません。

The Japanese Minister for Foreign Affairs is in this city still and holds audiences with the foreign representatives in behalf of the Imperial or Southern Government.
日本の外務大臣はまだ、この街にいます。そして天皇陛下に代わって外国の代表者と公式会見をしています。

私見
Stonewallとは外洋航行能力を持ちながら装甲で覆われた日本の軍艦だそうです。
それは、さておき、明治政府が通貨政策でここまで苦しんでいたということは、初めて知りました。しかも、紙幣の価値が常に変わっていたようで、民衆、外国人が嫌がっていた様子がよくわかります。それにしても、その通貨を拒否したら打ち首というのは、どうなんでしょう(笑)
漫画日本の歴史だと、外国人が通貨の両替を利用して、日本から多くの金・銀を奪ったと書かれていたけれど。何が事実なんでしょうか?

2013年10月29日火曜日

【1868/10/18】明治時代にあったキリスト教徒の迫害

出典はNYTimesから
PDFの二番目のパラグラフです。

PERSECUTION OF CHRISTIAN
キリスト教徒の迫害

The following decrees of the Mikado(Sourthen)
against Christianity are published.
キリスト教に対して天皇陛下(南)より以下の政令が発行されました。(当時は北にも天皇がいたので「南」という表記が。これは明治天皇のことです。)

As the abominable religion of the Christians is strictly prohibited, every one shall be bound to denounce to the proper authorities such persons as appear suspicious to him and re reward shall be given to him for so doing and reward shall be given to him for so doing. TAISEIKWAN
忌むべきキリスト教は厳しく、禁止されています。みなさんは、キリスト教徒の疑いがあるような人を正式な役所に告発するべきです。また、告発した場合には報奨金を得られます。太政官。(太政官とは、日本の明治維新政府に設けられた官庁名

Although the sect of the Christians has been already centuries ago persecuted most rigorously by the Bankfu Government, its entire extermination had not been arrived at. 
キリスト教は数世紀もの間、幕府によって厳しく迫害されていますが、まだ根絶には至っていません。

As, however, the number of followers of Christian doctrine had lately considerably augmented in the village of Urakama, near Nagasaki, whose peasants secretly adhere to it, after mature consideration it has been ordered by the highest authority that Christians shall be taken into custody according to the rules laid down in the annexed document.
小作農の隠れキリスチャンがいる長崎の近くにある浦上という村で、キリスト信者がかなり議論している時です。熟慮したうえで、権力者が下記の但し書きと共に「キリスト教徒は逮捕されるべき」と命令しました。

Annexe - As the Christian doctrine has has been prohibited in this country since the oldest time, this matter ought not to lightly treated. 
但し書き
キリスト教は、この国では昔から禁止されており、その問題は軽く扱われるべきものではない。

Those to whose custody Christians shall be confided shall therefore instruct them of what is right, with leniency and humanity, and shall do their best to again make good men of them. 
保護されているクリスチャンであることを打ち明けられた人は、彼らに慈悲と人間愛をもって、何が正しいかを彼らに指示しなければいけません。そして最善を尽くして、再び彼らを真人間にすべきです。

But if some should not repent and acknowledge their errors, they shall be most severely punished without any mercy. 
しかし、もし、過ちを認めないで悔い改めないならば、慈悲なく厳しい罰を受けます。

Those whom it concerns shall keep this well in mind, and denounce to the proper authorities everyone who shall prove incorrigible. 
その問題に関係を持つものは、それをよく覚えておくべきです。また、手に負えないとわかった者は、必ず、適切な役所に告発すべきです。

Those men(The Christians) until they have repented, shall not be allowed to have any intercourse with the inhabitants or the places where they are consigned.
クリスチャンは悔い改めるまで、地域の住人や彼らが引き渡された場所で、セックスすることは全く、許されない。

They shall be used to clear land or for work in the lime-pits, or the gold and coal mines, or for any work their officers may think fit to employ them on.
クリスチャンは土地を掃除する、石灰の採掘場で働く、金や石炭の鉱山で働く、などなど、彼らの主人が彼らに適していると考えるであろう場所で、使役させられる。

They shall live in the mountains and forests.
クリスチャンは山と森林に住む。

One portion of rice shall be allowed per head to the respective Daimios, for the space of three years.
3年の間、一人当たり一人前のご飯を各大名に与える。

They shall be brought in small detachments to the places mentioned below.
クリスチャンは、下記に言及する隔離された場所に必ず連れていかれます。

  The Daimios shall as soon as they receive the information of the persons allotted to them , send soldiers to take them over. 
大名は割り当てられた人の情報を受け取ったら、直ちに、彼らを引き取るために、必ず兵隊を派遣しなければならない。

The above Imperial orders are hereby published for observances.
上記の帝からの通達は、これによって、遵守すべきとして発行される。

The following Daimios shall take over the Christians allotted to them at their respective palaces at Osaka.
以下の大名は割当てられたクリスチャンを、大阪にある各々の場所に、必ず引き取らなければならない。

Here follows a List of Daimios, 34 in all and a list of allotments to each, being 4,100 persons allotted to the Daimios, in companies of 100 or 250 each.
以下にあるのが大名のリストです。全部で34。それぞれに割当てられたリストは、各一団ごとに100から250人が割当てられ、合計で4100人になります。

私見
わざわざ、南の天皇陛下と書かれているのが面白いですね。
DaimiosとかBankfuとかのスペルも興味深いです(笑)
 それはさておき、キリスト教徒の迫害に関連して思い出されるのは、島原の乱でしょう。江戸時代初期、1637年に天草四郎が起こしたキリスチャンの反乱です。それから、230年間もの間、江戸幕府はキリスト教徒を禁止していたようです。それも凄いが、それでも根絶できてなかったのも、また凄い。キリスト教の人気は根強いんですね〜。島原と浦上は両方とも今の長崎市。この辺りにいたキリスト教徒は、島原の乱以降もクリスチャンであり続けたんでしょうか。
 そんな状況のなか、明治維新がおこり新政府の登場。そして、文明開化、欧米化。だが、しかし、キリスト教はやっぱり禁止みたいです(笑)「セックスは禁止」なんて辺りも、なんか怖いですね。お前らは子孫を残すな的な。
 実は、こういう奴隷制度的な話が、明治維新にもあったのは意外でした。確か、教科書ではキリスト教徒の話は、江戸時代以降は出てこなくったはずです。まさか、まさか、欧米化が始まった明治にも、こんな血なまぐさい話があろうとは。明治が新時代の幕開けというわけでは、必ずしもそうではなさそうですね。

江戸時代のキリスト教徒の迫害について書かれている本はこちら。 本当は忍者の漫画なんですけど、サスケシリーズの後半はキリスト教徒の迫害の話も出てきます。 磔とか火あぶりとか。ただの漫画だなぁ〜とサラっと読んでいましたが、こういう話もあったのかもしれません。


2013年10月27日日曜日

【1868/10/18 】明治時代に日本軍の中にいたアメリカ人達

出典はNYTimesから
PDFの最後のパラグラフです。

AMERICANS IN THE JAPANESE SERVICE
日本軍の中のアメリカ人達

Mr,SOHMELL, formerly in the employ of H.P.M Charged' Affaires has been appointed to a general command in the army of Aidzu.
以前はH.P.Mで代理公使をしていたソーメルさんが、会津の軍隊で将軍として任命されました。

W.H. GRINNELL, late second officer of the United States steam sloop Oneida, nephew of the Moses H GrinNELL, of New York, has just appointed to the post of Naval Inspector of the Mikado's fleet.
Oneida号で二番目のリーダーだったW.H.グリンネルさんは、ニューヨークのMoses Hグリンネルさんの甥なんですが、天皇陛下の艦隊の海軍監査人になりました。

Other appointments of American and European officers in the Japanese service are spoken of.
他のアメリカ人とヨーロッパ人も日本の軍隊で将校として任命されたそうです。

私見
北の政府(会津側)にも、南の政府(明治天皇側)にも外国人の将軍、将校がいたんですね。むしろ、積極的に雇っていたというか。当時の日本人は、「攘夷」思考で外国人のことを嫌っているだけに意外でした。
あと会津側も戦争を予測して、シッカリと備えていたのがわかります。これを読む前は、もしかすると、会津は潔い死を目指していて、南に攻められたら諦めるのかな?とも思っていました。でも、会津も必死に戦って生き延びようとしていたのがわかります。
1861年当時は、アメリカ人を戦術面の師としていて、73年後には大東亜戦争でアメリカとの戦いに突入したのかと考えると、その間で何があったのかも気になりました。73年とは長い年月ではありますが。

時代背景はこちらです。

2013年10月23日水曜日

【1904/10/10】明治時代の台湾での日本の努力


1904/10/10で台湾での日本の功績が絶賛されています。
出典はNYtimesから

JAPAN'S WORK IN FORMOSA
台湾での日本の努力

The proofs of efficiency given by Japan in her war with Russia are so convincing and impressive that we are apt to forget the high state of civilization which the preparation for that efficiency in war involves.
ロシアとの戦争において日本によって示された効率の証明は、効率よく戦うための戦争に影響を及ぼす、高度に進んだ文明国家を忘れかけているということを我々に確信させ、また強い印象を与えました。

We have been led also to overlook the remarkable work she has been doing in Formosa,where her task heavily ta??d all resources and all her skill in the walks of peace as well as war.
我々は、日本が戦争と同じく平和への歩みのために、多くのリソースと技術をつぎ込んでいる台湾で行っている注目すべき仕事を見落としていました。

A recent letter from a correspondent of The London Times sets forth at much length and in detail the nature of the task and the kind and degree of success that has been attained.
ロンドンタイムズの記者からの最近の手紙では、多くの文章で評価されています。詳細には仕事の特徴、種類、達成された成功の度合いです。

It was in some important regards so like that we have assumed in the Philippines that it is well worth considering
それは非常に尊敬に値することなので、フィリピンでも当然、よく考える価値があります。

When Japan took over Formosa from China nine years ago the population of some 2,500,000 were harassed and plundered in the interior by bands of marauders and on the coast was largely made up of pirates.
日本が支那から9年前に台湾を取得した時、250万人の人々は、内陸では盗賊によって、海岸沿いでは海賊によって略奪されていて、疲れ果てていました。

The first work of the Japanese was to suppress piracy and establish order in the interior.
日本人の最初の仕事は、海賊を鎮圧することと秩序をつくることでした。

This took nearly six years,though other aims were not neglected in the meantime.
これは同時期に他の作業が疎かにされることなく、約6年間行なわれました。

The objects most systematically pursued were road buildings,sanitation,education, and the introduction of improved agriculture and of industries.
最も計画的に遂行されたことは、道路を作ったり、上下水道の整備をおこなったり、教育を施したり、農業や産業の生産性の向上を伝えることでした。

Up to the present time more than a thousand miles of roads have been constructed, 95 miles of railroad, with 37 stations, were provided;125miles of light railways were laid, and a plan surveyed and mapped out for an extensive system of railways for which $14,000,000 have been appropriated.
今に至るまで、千マイル以上(1600km以上)の道路が整備され、95マイル(152km)の線路と37の駅が作られ、提供されました。また125マイル(200km)の簡単な線路が敷かれました。それらの広範囲に及ぶ鉄道システムのための計画調査、調整には1400万$が充当されました。

The telegraph and telephone wires have been introduced and 87 Post Offices have been opened, which in 1903 handled over 13,000,000 letters and some 330,000 money orders.
電報と電話線が取り入れられ、87の郵便局がオープンして、1903年までに1300万もの手紙と33万もの郵便小為替が扱われました。

The efforts in sanitation have been directed to providing pure water,primarily through driven wells, with waterworks in the centres of population, toward the improvement of drainage, the systematic introduction of trained doctors, of whom some 200 are already in the island;the establishment of hospitals and the instruction of the natives in the essentials of hygiene.
公衆衛生の努力は、都心部では上水道を通して綺麗な水(井戸からの綺麗な水を優先)を供給、下水道の向上、訓練を受けた医者の計画的な採用(台湾には既に200人いる)、公衆衛生の必須要項として病院や現地人への教育などを整備しました。

A practical proof of the efficacy of these measures is seen in the fact that the deaths from plague declined between 1900 and 1903 from 2,619 to 606.
これらの施策が実際にはどれだけ効果的であったかという証拠は、疫病での死者が1900年から1903年の間に2619人から606人に減ったことでわかります。

The staple products of the island have increased in a notable degree tea five fold, rice 10 per cent, camphor 125 per cent, while camphor oil, formerly wasted, is now a profitable product.
島の主要産物は、高級なお茶が5倍、米が10%、以前は必要なく、今では有益な樟脳が125%増加しました。

Between 1899 and 1901 the output of coal increased 100 per cent, of silver 250 per cent and of gold sevenfold. 
1899年から1901年の間に炭の産出量は100%、銀は250%、金は7倍に増えました。

The general revenue of the Government advanced from about $1,350,000 in 1896 to over $6,000,000 in 1903.
国の一般会計は1896年の135万$から1903年に600万$に向上しました。

The currency has been changed from old copper cash with silver passing by weight to the monetary system of Japan.
通貨は銅のお金から、日銀による通貨システムでの銀の通貨に変わりました。

The deposits in savings banks-postal now-have increased from $114,000 in 1896 to over $382,000, or more than threefold.
預貯金は、今では1896年の11万4000$から38万2000$で、3倍以上に増加しました。

And the population has grown since 1897,when the first census was taken,from about 2,500,000 to over 3,000,000 in 1903, or about 20 per cent.
人口は1897年、最初の人口調査をした以来、250万人から1903年には300万人に、およそ20%増加しました。

This is plainly a splendid and an unprecedented record.
これは明らかに、輝かしい前代未聞の記録です。

私見
この記事を書いたのはイギリス人で、それをアメリカ人が引用しているってことかな?
日露戦争が1904/2/8- 1905/9/5。
日本が圧勝した日本海海戦が1905/5/27。
日露戦争の途中で書かれた記事みたいです。
イギリスが日本の台湾統治を大絶賛しています。しかも、「アメリカはフィリピン統治でこれを見習え」的な発言をしているのが面白いw 支那から奪った台湾ではありますが、民衆にとっては有り難かったことが、数字を用いて説明されているのが素晴らしいです。現代にも続く親日な台湾というのは、この辺りからきているんでしょう。
私の好きな本ですが、本の内容を裏付けるのが上記の記事なのかなと。

2013年10月20日日曜日

【1868/10/18】明治時代には二人の天皇陛下がおられた

東武皇帝というキーワードをあるサイトで見てから、気になって自分なりに調べみた。
それによると。明治元年、1868/10/18日に、日本には二人の帝がいたそうです。
出典はNYTimesから。

Northern Choice of a New Mikado
北での新しい帝の選出

The most important item of political news from Japan is the election by the Northern or Tycoon faction of a new Mikado, Ooeno Mia Sama one of the high priesthood.
日本での最も大切な政治のニュースは、北、あるいは大君(徳川)による新しい帝の選出です。オオエの宮様といって高い地位を持つ聖職者の一人です。(多分、北白川宮能久親王)

By the action there are now two Mikados in Japanthe former Mikado still holding power in the South.
この動きによって、今、日本には二人の帝がいます。以前の帝が南で権力を握っています。

The Japan Gazette says: The explanation we receive of the the appointment of new Mikado is that it is not absolutely to displace the other , but as an authoritative chief to direct the action of the Northern combination, who shill if we understand aright, consider the original Mikado as the true head of the country. 
日本の新聞いわく。我々が受け取っている「新しい帝の任命」に関する説明では、それは完全に一方の天皇を解任するというものではなく、北方同盟を指揮する象徴としてということ。我々の理解が正しいのであれば、まだ本当の国のトップは、南の帝だと思われます。

Ooeno Mia Sama is his uncle. It is he and not Arisugawa Mia Sama who first came to Yeddo to arrange matters for the new Government. 

おおえの宮様は帝の叔父です。有栖川宮様ではなく彼が、新しい政府の問題を取り決めていた時に最初に江戸に来ました。

but who when he saw the real state of feeling among the people, upheld the right of the Tokugawa and originated the demand on the Mikado that he should return to Kiola and confine himself to his proper functions.
しかし、彼が徳川家の権力を支持する人々や、帝は京都に戻るべきだと思っている人々の本音を見た時に、彼は自身をあるべき立場へと律しました。

We do not quite clearly comprehend all explanation given us, but it seems to be the opinion of Japanese who are well educated and generally well posted in the politics of the day, that he will act independently issuing orders and conferring dignities and appointments, but that when all is attained for which the Shin Kanguns fight, he will again become simple Mia and place all the power in the true Mikado's hands.

我々は与えられた情報の全てを正しくは理解していませんが、よく教育されている日本人の意見では、また、政治の出来事として以下のことが公表されてます。彼は独立して命令を発行して、爵位と認容を授与するだろう。しかし全ては新官軍の戦いで達成され、彼は再び、ただの官僚になり、帝の支配下に全ての権力がおかれるだろう。 


私見
明治時代の一時期とはいえ、天皇陛下が同時に二人いたというこには驚きです。なぜなら、教科書には全く出てこない歴史だからです。当時のアメリカで「日本で最も大事な政治のニュース」とされているものが、教科書で教えられないというのは、なんとも不思議な話です。明治時代の最大の反乱と言えば1877年の西南戦争と言われておりますが、こちらの方が大きな反乱?のように見えますね。今の政権にとっては、都合の悪い事実なんでしょうか?
当時の人達は、すでに新たに戦争が起きることを予想しており、また、新政府側が勝つことを予想しているのも興味深いです。
ちなみに、新しい天皇のことを日本では「東武皇帝」と呼称していたようです。

時代背景などを知りたい方は、こちらの本をどうぞ。

2012年9月24日月曜日

フィリピン人とのオンライン英会話で英語以外に学んだこと

フィリピン人との約二年にわたる英会話で、英会話以外に得られた知識をまとめます。大別すると以下の四つです。
  1. 家族について
  2. 仕事について
  3. 男女関係について
  4. グローバリズムについて
1、家族について。基本的な構成はこんな感じ。
フィリピン人
  • 大家族
  • 子供は3人以上
  • 経済的なつながりがインタラクティブ
日本人
  • 核家族
  • 子供は1、2人 
  • 経済的なつながりは親から子供
 
フィリピン人の大家族というのは、祖父から孫まで一緒に住んでいるというだけでなく、時には養子も混じっていたり、家政婦も住み込みだったり。本当に大家族です。養子をもらうことは、日本よりも簡単なので、未婚女性でも養子をもらえます。また家政婦の賃金は非常に安くて、8000円ぐらいで一ヶ月間、雇えます。住み込みなので住居と食事を提供する必要がありますが。
 これらによって、何が起きているかというと女性の家での労務が大幅に軽減されています。子供の世話は祖母がやってくれたり、家政婦がやってくれたり、時には既に大きくなった子供達がやってくれるので、母親は安心して働くことができます。
 日本の場合は核家族で各々の家庭において、女性が家事をやっています。最近は、独身世帯も増えたので個々が家事をやっているケースも多そうです。みんなが、みんなそこに時間をとられて、仕事だったり、婚活だったりが疎かになっています。
 フィリピンでは金銭面でも家族での助け合いが強く、20代でも一家の大黒柱だったり、兄弟の学費の面倒を見ています。 辛そうだなと思う反面、誰かのために働くということで、本人が励まされる一面もある気がします。
 こうして比較することで日本人は金銭的にも、精神的にも非効率な生き方をしているんだと、気付かされました。これが高度経済成長のもたらしたものだとすると少し寂しい気もします。

2、仕事について

私は、フィリピン人についてある一定以上の階層しか知らないということを前提にして読んで下さい。貧困層については、あまりよく知りません。
フィリピン人
  • 休みは週1
  • よく働く
  • 仕事が少ない
  • 生活保護はない
  • 最低賃金はない
  • 女性が海外に出稼ぎに行く
  • 女性管理職の割合が世界で一番、高い
日本人
  • 休みは週2
  • よく働く
  • 仕事はたくさんある
  • 生活保護がある
  • 最低賃金がある
  • 海外には出稼ぎに行きたくない
  • 女性管理職の割合が世界で一番、低い
  
フィリピン人は本当によく働きます。でも離職率は高いので、日本人的なロイヤルティは特に持っていないようです。お金、お金といった感じです。仕事は非常に少ないので、コールセンターやオンライン英会話で働く人は非常に多く、また、中東やアメリカへ出稼ぎに行く人も多くいます。看護婦だったり、家政婦だったり。中東だとホントに奴隷みたいな扱いをされることもあるそうで、出稼ぎも命がけです。ただ、最近は海外での女性の仕事が減ってきているみたいなので、出稼ぎに行きづらくなっているようです。看護学校を卒業しても、フィリピンはおろか、海外でもナースになれない!という記事が2、3ヶ月前に話題になっていました。
 フィリピン人の女性管理職は非常に多く、男女比の割合では世界一です。これは女性が優遇されているというよりは、本当によく働くから。出産のための休暇は約一ヶ月。これは、長く休暇をとっていたらクビにされかねないためです。そもそもフィリピン女性は子供をたくさん産むので、日本のように会社が妊婦を優遇していたら、それこそ会社が倒産してしまいます。また深夜でも彼女らは普通に働きます。コールセンターで働く場合はアメリカ時間に合わせて働くためです。つまり、フィリピン女性は男性とほぼ同様に働くため、男女関係なく評価された結果として、女性管理職の割合が世界一になったんでしょう。日本で労働環境の男女差別を無くせと声高に叫ぶのは結構ですが、責任も伴うということも日本人女性は理解しているんでしょうか。日本人女性は、深夜に働けますか?出産の直前ま働けますか?フィリピン女性、日本人女性のどちらが幸せなのかは難しいところですね。

3、男女関係について


フィリピン人
  • 男が弱く、女が強い
  • 保守的な女性が多い
  • 遠距離恋愛が多い
日本人
  • 男が強くて、女性は普通
 
とにかく女性が強い。よく働く、勉強する、海外にも出稼ぎに行く。フィリピン女性から「フィリピン人の男は嫌」っていう言葉は少なからず聞きます。夫婦で海外に出稼ぎに行き、女性が海外で働き続けることを望み、男性がホームシックになった結果、別れたという話も聞きました。男女が逆だろ、それ!と突っ込みたくなります(笑)また、階層にもよりますが女性は保守的です。結婚する年齢が日本より早いということ、離婚が許されてない社会という事と関係がありそうです。一応、離婚みたいなのはあるんですが、正式には離婚できないそうです。遠距離恋愛が多いのは、海外に出稼ぎに行く人が多いためです。数年間、遠距離恋愛というのも普通によくある話みたいです。ちなみにデート代は全て、男性もちだそうです。これは、男にとってはきつい。。。ただ、この辺りの話は個人差が大きそうなので、参考程度という感じです。

4、グローバリズムについて

正直なところ、初めてオンライン英会話をした時は感動しました。なんだ、これは?こんなモノがあっていいのだろうか?ホントにそんな、言葉では言い表せないような感覚で包まれたことを覚えています。全く、英語を話せなかったにも関わらず(笑)
それを成し遂げている要因は二つ。
  • IT革命
  • 日本とフィリピンの間でのお金の格差
 
IT革命とは通信費の安さ、低価格のPC。それが先進国だけでなく、発展途上国でも使えるようになっているということ。これもグローバリズムの一つですね。ちなみにフィリピンではOSは無料(笑)、ソフトも大体、無料(笑)。それだけです。それ以上は特に言及することはありません。

お金の格差これが大事。

フィリピンでの生活費は大体こんな感じです。
マニラ周辺;35,000円/月
セブ周辺;30,000円/月
ダバオ周辺;25,000円/月

普通の人の給料
一日、8時間で24日労働
30,000〜45,000円

簡単に考えると、日本とフィリピンで住む場合の賃金・コストは10倍ぐらいの差があります。でも同じ経済圏に住んでいる場合は全く無意味です。賃金が高くても、コストも高いわけですから。そんな状況の中でその経済圏、障壁を取り除いてしまったのがIT革命。その結果、日本人は優秀なフィリピン人の講師から10分の1のコストで英語のレッスンを受けられるようになりました。生徒の中には、日本で英語を教えている先生も混じっているようです。(笑)グローバリズムは、世界規模で見ると仕事と所得の分配であり、素晴らしいことではありますが、何事にも正と負の側面があります。
正の側面

  • 日本にいながら、英語の能力が高いフィリピンに住む先生に安く教えてもらえる。
  • フィリピンでは、雇用が創出され、フィリピン人は他の仕事に比べて割高な給料が手に入る。
負の側面
  • 日本にいる能力の低い、割高な英語の先生の立場がない。
 
グローバリズムの素晴らしさと残酷さをこんな身近に体感したのは、これが初めてでした。

学んだことを今後の日本にいかせないだろうか? 
学んだことを適当に今の日本に合わせてアレンジしたら、世の中がよくなるかも。

1、セーフティネットを国から家族・集団に変更する。

 
生活保護を少なくする。一人、月に30,000円ぐらい。
弱者に厳しいように見えますが、家族だったり他者と寄り添って生きていく生活は、月に200,000円貰って一人で生きていく生活より素晴らしい気がします。勿論、生活保護を支えている国民の負担も減ります。


2、最低賃金を取り払う。
これによって、弱者のための仕事が生まれ、社会に必要とされ続けます。そして生活保護と合わせて暮らしていけます。

3、真の男女平等を目指す。

男、女に関係なく結果で判断する。長時間労働、深夜労働も男女関係なし。産休は短くする。これによって、貴重な労働資源を余すところなく使えることができます。

4、フィリピンから英語教師に来てもらう

日本人の英語力の低さはここ数年、言われ続けている課題ですが、大きな原因の一つに英語の先生が悪いということが挙げられます。フィリピンから英語の先生に来てもらえば、日本人の英語力も少しは底上げされるのではないでしょうか?