それによると。明治元年、1868/10/18日に、日本には二人の帝がいたそうです。
出典はNYTimesから。
Northern Choice of a New Mikado
北での新しい帝の選出
The most important item of political news from Japan is the election by the Northern or Tycoon faction of a new Mikado, Ooeno Mia Sama one of the high priesthood.
日本での最も大切な政治のニュースは、北、あるいは大君(徳川)による新しい帝の選出です。オオエの宮様といって高い地位を持つ聖職者の一人です。(多分、北白川宮能久親王)
By the action there are now two Mikados in Japan, the former Mikado still holding power in the South.
この動きによって、今、日本には二人の帝がいます。以前の帝が南で権力を握っています。
The Japan Gazette says: The explanation we receive of the the appointment of new Mikado is that it is not absolutely to displace the other , but as an authoritative chief to direct the action of the Northern combination, who shill if we understand aright, consider the original Mikado as the true head of the country.
日本の新聞いわく。我々が受け取っている「新しい帝の任命」に関する説明では、それは完全に一方の天皇を解任するというものではなく、北方同盟を指揮する象徴としてということ。我々の理解が正しいのであれば、まだ本当の国のトップは、南の帝だと思われます。
Ooeno Mia Sama is his uncle. It is he and not Arisugawa Mia Sama who first came to Yeddo to arrange matters for the new Government.
おおえの宮様は帝の叔父です。有栖川宮様ではなく彼が、新しい政府の問題を取り決めていた時に最初に江戸に来ました。
but who when he saw the real state of feeling among the people, upheld the right of the Tokugawa and originated the demand on the Mikado that he should return to Kiola and confine himself to his proper functions.
しかし、彼が徳川家の権力を支持する人々や、帝は京都に戻るべきだと思っている人々の本音を見た時に、彼は自身をあるべき立場へと律しました。
We do not quite clearly comprehend all explanation given us, but it seems to be the opinion of Japanese who are well educated and generally well posted in the politics of the day, that he will act independently issuing orders and conferring dignities and appointments, but that when all is attained for which the Shin Kanguns fight, he will again become simple Mia and place all the power in the true Mikado's hands.
我々は与えられた情報の全てを正しくは理解していませんが、よく教育されている日本人の意見では、また、政治の出来事として以下のことが公表されてます。彼は独立して命令を発行して、爵位と認容を授与するだろう。しかし全ては新官軍の戦いで達成され、彼は再び、ただの官僚になり、帝の支配下に全ての権力がおかれるだろう。
私見
明治時代の一時期とはいえ、天皇陛下が同時に二人いたというこには驚きです。なぜなら、教科書には全く出てこない歴史だからです。当時のアメリカで「日本で最も大事な政治のニュース」とされているものが、教科書で教えられないというのは、なんとも不思議な話です。明治時代の最大の反乱と言えば1877年の西南戦争と言われておりますが、こちらの方が大きな反乱?のように見えますね。今の政権にとっては、都合の悪い事実なんでしょうか?
当時の人達は、すでに新たに戦争が起きることを予想しており、また、新政府側が勝つことを予想しているのも興味深いです。
ちなみに、新しい天皇のことを日本では「東武皇帝」と呼称していたようです。
時代背景などを知りたい方は、こちらの本をどうぞ。
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