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2014年6月6日金曜日

未来工業を通して働き方について考えてみる

転職を何度も繰り返してきた私は、様々な職場や働き方を見てきました。二重、三重の下請け構造、馬鹿みたいに働かせたがる上司、残業代を払わない会社、安い給料、派遣などです。今でこそ、そこそこの給料は貰えているので職場を悪くは言わないですが、以前は「やってられるか!」というのが率直な気持ちでした。今の日本では、多くの人がこういったことを味わっているのではないでしょうか?こういった状況に対する反応は、大体、以下の三つに大別されます。被っている人もいるかもしれません。
  1. 社会を憎む。
  2. 仕方ないことなんだと諦める。
  3. 自分の力が無いせいだと反省する。
強い立場の人は、弱い立場の人に大体、2か3の立場で納得させます。勿論、それが本当に当てはまる場合もあるのですが、安い賃金にも関わらず無理矢理に納得させようとする場合も多々あるのではないでしょうか。それが正しいと思いますか?私は全く思いません。では、どういった働き方が理想なのか?それについては、日本で一番、休みが多いという未来工業の話を例に出して話していければと思います。
未来工業は年間の休みが百四十日。年末年始の休日は十九日間、ゴールデンウィークも十日間連続して休めるし、その上夏期休暇が十日間もある。残業は一切禁止しているから、終業時間の夕方四時四十五分を過ぎると、社内にはほとんど人影がなくなる。
人は仕事のためだけに生きているのではないし、ましてや馬車馬ではない。プライベートも含めて、どうしたら充実した人生を送ることができるのか。そこまで考えて、やる気を引き出してやるのが上に立つ者の義務だ。それができる経営者だけが、稼ぐ社員と儲かる会社を育てられるのだ。
未来工業の休み方に憧れませんか?まるで、欧米の企業のようです。このような休み方だと休みにどこか行こうと思えます。そして「ゆっくり休む→やる気が出る→仕事の効率が上がる→稼ぐ→ゆっくり休む」といういい循環が出来てきます。そんなことが出来るのは、この会社が儲かっているからだという意見もあるとは思いますが、経営者だけが儲かっている会社もありませんか?そして「猛烈に働く→疲れる→仕事の効率が下がる→売上げが落ちる→辞める」という悪い循環ができてきます。どちらがいいのか、従業員も経営者、共によく考えてみるべきです。後者の場合は、会社の売上げは決して伸びていかないでしょう。
 次は、企業の海外への進出の話です。
その理屈を知っているから、未来工業は海外進出をしない。国内市場で十分食っていけるのに、わざわざ海外へ行く必要があるだろうか。言葉の通じない人間を相手にモノを売ったり買ったりしなくても、国内に五百兆円もの市場があるのだから、そちらに集中したほうがいい。それをほったらかしてまで、海外に進出する理由はない。需要はまだ足元にいくらでも転がっている。そういう発想が、どうして多くの日本人にはできないのだろうか。
でも、今の市場で十分食っていけているものを、なぜわざわざ大変な思いをして、海外に行く必要があるのだろうか。そんなに規模を大きくして何になる?日本人を相手に商売をしていても十分幸せに生きていけるのに、七十倍も稼いでどうしようというのだ?海外進出だけに限った話ではない。追われるように仕事に向き合う姿を目の当たりにするたびに、一度自分の足元をじっくり見直し、本当に必要なこと、不必要なことは何なのかを考えたらいい、といつも思う。幸せとはただただ規模を大きくすることではない。身近にいる人間が幸せかどうかのほうがよほど大切なのである。
ユニクロの柳井さんとは、まるで正反対の考え方ですね。柳井さんはスゴい経営者だと尊敬していたので、実は「日本企業は海外に進出するべきだ」とずっと私は思っていました。この話に限っては、どちらが正しいとかは無いと今でも思っています。ただ、誰しも柳井さんのようになれるわけではないので、是非とも上記のような考え方も知って欲しいと思った次第です。「そんなに規模を大きくして何になる?」というのが、実に農耕民族らしい考え方でいいと思っています。ホドホドに、食べられていくぶんだけ稼いで、後は幸せを考える。そういう生き方もいいんではないでしょうか。
 物事の考え方について
ドアにノブがあるのは「常識」だ。その常識を何の疑いもなく、そのまま受け入れてしまうのが九十七%の凡人だった
ホウレンソウなど無意味である。あんなものはポパイに食べさせておけばいい。社員に仕事をまかせて、自分で考えさせたほうがはるかに組織全体は強くなる。 
新聞を読む時は、記事に書かれた内容を疑いながら読んでいる。そうすると、ただ漫然と読むよりははっきり印象に残る。たとえば日本中でものすごい人数がクビを切られて、町には失業者があふれているような論調で書かれている記事がある。でもよく調べてみると、クビになっているのは雇用者全体の十%くらい。日本では九十%の人は、まだちゃんと雇用されて働いているのだ。
常識や新聞の記事は正しいということを頭から信じては駄目ということです。会社のドアにノブは確かに必要がない。押すなり引くなりして動かせば、それでいい。ホウレンソウに囚われていては、仕事の効率が下がります。「ホウレンソウをしっかりしろ」という人にロクな人はいません(笑)どうしても気になっていたら、上司から聞きにいってもいいと思います。新聞の記事より、実際の数字で判断をする。どれもこれも本当に大事なことばかりです。
 ブラック企業について
昔、経営者の集まりに出ていたら、こんな会社があってびっくりした。その会社では、毎月支店長を集めて会議をする。その席で、社長が成績の悪い支店長を殴りつけるのだそうだ。毎回、ひとりか二人は殴られる支店長が出るという。私は驚いて、その社長に聞いてみた。「おまえさん、殴ったら社員が喜ぶのかい?」その社長はニコニコしながら答えた。「喜ばんよ。喜ばんけどもな、売り上げが伸びるぞ」
そんな状態でうまくいくわけがない。案の定、しばらくして会社の業績はかなり厳しい状況に変わっていった。最初に予想できた展開だ。
当たり前の理屈なんですが、それでもブラック企業というのは、なかなかなくなりません。ブラック企業で有名なワタミの売上げは、大幅に落ちて大変なようです。社員を喜ばせれば売上げが上がり、その逆をやれば、売上げが下がる。当然のことです。
 商売のやり方と人の使い方について
そして世界一質のいい商品を、世界一割の合わない安値で売りまくる。金は入る。だが単価は下がる。その分、儲けを増やすために働かなければいけない。こんなことを繰り返していたら、個人も組織も、ひいては国全体が疲弊するのは目に見えているではないか。「いいものを安く」などと、バカげたことを言っているかぎり、せっかくいい腕を持っていても、永遠に稼げるようにはならない。
二〇一〇年、トヨタ自動車が世界で四百八十万台のリコールを発表した。リコール、すなわち不良品が出てしまったのである。ガスの不完全燃焼で何件もの被害が出た、ガス器具会社のリコールがニュースになったこともあった。日本の企業が人の命に関わるような不良品をつくってしまうなど、これまでは考えられないことだった。どうしてそんなことが起きたのか。その背景には、日本の企業がこぞってパートや派遣社員に頼り始めたことがあると、私は思っている。 
いい商品を安く売ってシェアを取ろうとする。そのためには、人件費を削らなければいけないので派遣社員を雇う。結果として労働者のやる気が無くなり、製品が悪くなってしまったり、工夫が無くなってしまう。本当に馬鹿馬鹿しい結果です。Appleは、その逆でいいものを高く売っています。それでこそ商売ということでしょう。
 人の育成方法や評価方法について。
せっかくの人材をつぶしてしまうのは会社に責任がある。もし別の会社に行っていれば花開いたかもしれない能力が、会社のせいでみすみすつぶれてしまうのはもったいないことだ。人を雇う責任を会社はもっと自覚すべきである。ところが世の中の社長や幹部連中は、自分の責任は棚に上げて、雇った人材のせいにしようとする。「うちにはいい人材が来ない」とか「優秀な人を集められないからダメだ」などと平気で言う。とんでもない話だ。それは育てられない会社が悪いのである。
百点をとった人間と九十点をとった人間がいた場合、ふつうは百点をとったほうを評価して、九十点はダメだと言う。九十点と八十点なら、八十点がダメだと評価する。でも社員を育てたかったら、その評価方法ではダメだ。結果ではなく、その人間が百%やったかどうかを見なければいけない。 
最近、よく聞くニュースの一つに「〜業界が人材不足。技術力のある〜が足りていない」というのがあります。「〜の会社ができる人材を全て持っていってしまった」なんて言う話も聞きました。でも、何かおかしくないですか?逆に「〜という人材を育てようとしている」などと言ったニュースはあまり聞きません。あっても短期間だったり、初歩的なことしか教えないケースです。つまり、どこの会社も教育は他社に任せて、自社は優秀な人材だけを採用できればいいと思っているわけです。そうすると、会社は人を育てる必要が無くなり、歪んだ成果主義だけが残ります。それに比べて、未来工業の評価方法はどうでしょうか?本人の頑張りを評価しています。そして、評価方法が人を育てていきます。利益を出すための評価方法では無くて、人を育てるための評価方法というのが、いいなぁと感じました。
 これからの生き方について
元手がないから、とか、準備ができていないから、などとごたくを並べて、「挑戦できない」というのは嘘だ。リュックひとつ分の荷物しかなくても、人生は拓ける。必要なのは、世の中のくだらない常識に惑わされずに「常に考える」ことのできる頭と、やる気だけ。
今までの未来工業の話を聞いて、「うちは無理だ」「俺には無理だ、関係ない」と思った人が多数なんではないでしょうか?でも、頭を使って考えれば、何とかなることもたくさんあると思います。頑張りましょう。

2012年4月26日木曜日

どういう気持ちで働いているか?

この度、転職をすることになりました。それにあたり、ここ一年と四ヶ月の間も含めて技術者になってから考えていたことを書き連ねたいと思います。私が主に考えていたのは三つだけです。
  • 自分のスキルを高める。
    より汎用的なエンジニアになるためにどうすればいいか?英語を自由に話せて、ネットワーク、サーバー、webアプリケーション、DB、あらゆるプログラミング言語を自由に使えるエンジニア。自分の働ける場所は日本だけに限る必要はない。
  • 自分の武器を作る。
    LAMPエンジニアという差別化が難しい分野で、自分の武器をどうやって作ればいいのか。Linux、Apache、MySQL、P言語は、程度の差こそあれ誰でもできる。また、ある程度以上のレベルは市場からは求められていなかったりもする。どうすればいい?
  • できること、できないことをハッキリ言うようにする。
    できそうにないことを安易にYesと言わない。やれと言われても、できないことはできない。時間を費やしてもできるとは限らない。状況を説明して、あとは諦めるしかない。こう無責任に思われてしまうかもしれないけど、勿論ケースバイケース。でも本当に長時間労働はお勧めしない。なぜなら負のサイクルが発生するから。
    「エンジニアが頑張りすぎる→疲れる→退職→会社のノウハウが失われる→エンジニアが頑張りすぎる。」
    負の無限ループ。エンジニアにとっても会社にとっても、あまりよくない。
そしてこれらを実現するために、毎日英会話を50分やり、週末にはプログラミングも勉強していた。広告配信システムという自分の武器を見つけてからは業界の勉強もした。できないことはNoと言う一方で、毎日一時間以上は残業をしたし徹夜をしたこともある。土・日に出社したこともあります。当然ですが残業代は出ないし代休もありません。

私の言いたいことがより洗練された文章でClean Coderという本に書かれていました。

労働倫理
君のキャリアの責任はにある。君の市場価値を決めるのは雇用主の責任ではない。講習を受けたり、カンファレンスに出席したり本を購入するのも雇用主の責任ではない。これらは全ての責任だ。学習の時間を見つけるのも雇用主の責任ではない。週に60時間、働く計画を立てよう。40時間は仕事のため、残りの20時間は君のキャリアのため。この二つが重なることもある。その時は20時間を仕事のために充ててもいい。

自分の専門分野を知る

継続的学習を続け練習し、ソフトウェア開発者同士、協力したり、指導しなさい。また自分の開発の対象となる業界の知識についても勉強しなさい。

「ノー」と言う。
チームリーダーは金曜日という期限をはねつけるべきだった。私もリーダーの代わりに「ノー」と言い続けるべきだった。プロは権力者にも真実を伝える。プロはマネージャーに「ノー」という勇気を持っている。どうすれば上司に「ノー」と言えるのだろうか?なんたって上司だぞ!上司の命令には逆らえないんじゃないのか?それは違う。プロなら違うんだ。奴隷は「ノー」と言うことを許されていない。労働者は「ノー」と言うことをためらうだろう。だが、プロは「ノー」と言うことを期待されている。

この本の内容はどうだろう?ただの理想でしょ、現実はそんなに甘くないと思うかもしれない。でも私はそう思わない。労働者はプロであるべきだし、自分の人生を雇用者のせいにすべきでもない。環境によっては「たくさん働いたけど残業代が出ない」、「給料が上がらない」様々な文句はあると思うし、言いたいこともあるだろうけど、それを本気で思うべきではない!(笑い話レベルにしよう)自分の人生、キャリアは自分で創るものだし、自分の給料は市場で決められるべき。

最後にはなりますが、今回働いていた会社では自分の目標(モデルケース)となるようなエンジニアに会えたこと、自分の武器を見つけられたことに対しては本当に感謝しています。本当に実りのある一年と四ヶ月でした。どうも、ありがとうございました。